「鈴木安蔵を讃える会」

鈴木安蔵(すずき やすぞう)

鈴木安蔵

 鈴木安蔵は1904(明治37)年3月3日に、福島県小高町(現南相馬市小高区)で生まれた。相馬中学校(現相馬高校)、仙台の第二高等学校を経て、京都帝国大学文学部哲学科に入学するが、翌年経済学部に転部する。

 1926年1月の学連事件で逮捕(治安維持法の初適用)、有罪となり大学を自主退学する。2年間の入獄中に研究に没頭し、日本初の社会科学としての憲法学を確立した。第二次世界大戦後、民間の7人で構成された「憲法研究会」の中心として「憲法草案要綱」を作成し1945年12月に公表する。それがGHQに着目され、現在の日本国憲法の骨子となる。その意味で鈴木安蔵は「日本国憲法の間接的起草者」とよばれる。

 その後静岡大学・愛知大学・立正大学などで学生を指導。戦争を放棄し基本的人権を保障した民主的な日本国憲法の普及と護憲運動に力を尽くした。2007年、日本国憲法の誕生過程は『日本の青空』として映画化された。

 1983(昭和58)年8月7日に、79歳で死去された。

相馬中学校時代のエッセイ等

 故若松丈太郎氏から提供された当時の貴重な資料をご覧頂けます。(画像をクリックするとPDFが開きます)

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